リトルバスターズSS
缶蹴れ!! 中編
-SIDE:Mio-
さて、現在わたしは三階の空き教室に身を潜めています。ゲーム開始の合図待ちですね。
教室を出た後は軽く対策を練り、わたし達は散り散りになりました。別れ際、お互いの情報を伝え合うことを約束して。
『みんな~。まずは缶を見つけないといけないよね? だから、最初は個別で缶の捜索に当たりたいと具申します。どうかな?』
『そうだな。あの面子が考えることだ、普通の場所に隠したとは到底思えん。時間制限がある以上、手早く見つける必要があるな』
『早期発見が重要ってこったな』
『では、空き缶が見つかればメールで連絡です!』
結論は、小毬さんの一声で定まりました。
わたしも不備が無い限り口出しはしません。鈴さんは……腕を組んでうんうん頷いていました。頭脳労働は彼女の仕事ではないのでしょう。
それに、携帯で連絡が取り合えるというのは確かに便利ですね。
一時期、携帯電話の操作に関しては非常に難儀をしましたが、今では皆さんの協力もあってか、メール機能の送受信は完璧です。えっへん。
とまあ、こんな感じで作戦らしいとは言えない作戦を話し合った後、今いる教室に逃げ込んだわけです。
開始のメールが届き次第、わたしも缶の捜索に当たるつもりです。が、正直な話、自分はあまり運動が得意とは決して言えません。純粋は体力勝負なら、メンバーの中では最低ランクです。
そんなわたしが、来ヶ谷さんや葉留佳さん、ましてや男性から逃げられるはずも無いわけです。……真っ向から、という場合ですが。
勿論、やるからには負けたくはありません。勝利の要因は最大限駆使し、不得手の分野を補うつもりです。
幸いにげぼ――もとい、協力者達が提供する有り難い試作品もあります。なんだかよく分からないパワーですけど、存外に使えますし。
良識? ……そんなものは知りませんよ。事後承諾で構いませんよね?
そこまで考えると、眉間に皺が寄った。……はて。今思えば、わたしも随分と負けず嫌いになったものですね。昔(といっても半年程度ですけど)のわたしだと、真剣になることも無ければ、そもそも参加自体拒否してます。
……感化されましたね、わたしも。それが嫌じゃないから、逆に戸惑うことも多いのですが。
自分の明確な心変わりに頬が緩んだ時、ポケットに入っていた携帯から洒落た音楽が流れる。
本来なら着信音はバイブで充分だったのですが、わたしが何も知らないのをいいことに着音を何十曲もダウンロードし、且つ勝手に登録した葉留佳さんによって今の状態です。
――まあ、気に入ってしまったので許容しましたが。
鳴り続ける携帯電話を取り出し、画面を眺める。
「……小毬さん?」
恭介さんの合図かと思いましたが、どうやら小毬さんのようです。
何事かと思いメールを開いた。
『元気だしていきましょ~ えぃえぃおー(^0^/)』
「……ふふ」
つい笑みが零れる。当たり障りの無い普通のメールですけど、彼女のこういった心配りは嫌いじゃない。
そんな小毬さんのメールに追従するように、もう一通の受信を知らせる表示画面。
――来ました。恭介さんが告げる、ゲーム開始の合図です。
鳴ると困る携帯はマナーモードに切り替え、教室から首を出して廊下を覗いた。
昼休みということもあり、廊下には数人の生徒が往来し、また佇んでいる。……だが、鬼の四人は見当たらない。
「……行動開始です」
教室から飛び出し、廊下へと出る。空き部屋から急に出てきたわたしへと、不審がる視線が幾重にも突き刺りますが、気にもなりません。
校舎の三階は上級生のフロアですから、下級生のわたしは酷く目立つのでしょう。
行き交う生徒達の間を縫って、喧騒の中を行くあても無く歩く。
しかし、一缶を闇雲に探したとしても、手掛かり無しでは見つけるのは困難です。
――まずは鬼と接触するのが無難だろうか?
だとしても、あっさり捕まりそうで嫌です。早々に捕縛されて、昼休みは身動きできずに終えるというのも退屈ですね。……まぁ、本の一冊や二冊は携帯してますので暇は潰せますが。
考え無しに歩いていた結果、廊下の突き当たりに設置された降りの階段へと到着です。
開始から一分三十秒程度。鬼達も各所に散らばった頃でしょうか。
とりあえず、下階へ降りてみようと足を踏み出したその時――
「――っ?」
ピッピっピッと、ポケットから洩れる小さな電子音。――鬼の到来を告げる合図です。
音の間隔は大きくので、距離的には多少の余裕があるということでしょうか。ですが、向こうも捕捉している筈ですので楽観はできない状況です。
敵の出方は思い切って真正面か、潜伏して強襲か。いや、仲間を呼び寄せ袋の鼠の方が効率的ですね。
方向からして下階。降りれば遭遇の可能性大。裏を欠いて前進すべきか……。いや、ここは安全策……引き返しましょう。今は、まごつく一秒さえ命取り。
そう思って踵を返して後退しようとした矢先――非常に聞き慣れた騒がしい声がわたしの耳朶を打ちました。
『きたきたキターーー!! はるちんマルチセンサーターゲットロオオオック・オン!! ドコのどいつだお縄に付けーー!!』
杞憂……というより、アホですか? 彼女にとっては息を呑む緊張感や、緊迫した駆け引きなどは一切合財無縁なのでしょう。
上級生の校舎だというのに意にも返さない。自分自身の奇声が、どれ程注目を浴びているかを理解しているのでしょうか。してないんでしょうね。
名前通りに、羞恥心などは遥か遠くへと置き去りにしています。この場合、名は態を表していると言えそうです……。
わたしが思わず溜息を零している間に、声の主――葉留佳さんが階段下より顔を覗かせる。
――これはうっかり。あまりのアホ差加減に、ついつい逃げ出すのを忘れてしまいました。
鼻息の荒い葉留佳さんと視線が交差する。ニタリと、得意気に笑っていた。
「ぐふふふふ……。見える! あたしにも敵が見えるぞおお!」
「…………」
常日頃からですが、いやにハイテンションですね、彼女。まぁ、遊びと悪戯に掛ける情熱は、傍から見ていて飽きませんけどね。
「みおっち~ん……お花は摘んだかな? 偉い人にお祈りは? どっかのスミで昼休みを無意味に過ごす心の準備はオーケー?」
……わたしを取り逃がすなど、露ほども疑っていないのでしょうね。
前述した通り、確かに体力勝負では勝ち目はありません。嘆かわしいことに……。
ですが――あまり舐めないでいただきたい。
余裕綽々で見上げる葉留佳さんを、わたしも平常心で見下ろします。彼女は一層と笑みを深くした。
……逃げる様子の無い姿を、降伏と見て取ったのでしょうか。――総じて甘いですよ?
ブレザーのポケットへと手を差し込み、忍び込ませていた逆円錐形の小型金属を引き抜く。
「鬼となれば全方位に出る者なしと噂されるオニオンマスターこと葉留佳さんに開始早々捕捉されるなんて……可哀想なみおちん!!」
取り出した小物へと、付属品のワイヤーを巻きつける。それと、玉葱がどうかしたんですか?
「あたしが鬼になるということ、つまりは金棒を持った鬼へと変化を遂げた鬼というのがあたしということであり……いや違う、金棒を持ったのがわたしで持たれるのが鬼ということだからつまり――って、ナンデスカそれ?」
「玩具です」
意味不明の御託を並べる葉留佳さんへと、握った小物ごと右手を一振り。ワイヤーから引き抜かれた物体が、掌から勢いよく飛び出していった。
高低差のあった彼女の下へと自然落下しながら地面へ着地。――回転を始める。
「なになに? よく分かんないけど、このはるちんと喧嘩ゴマで雌雄を決するって? 笑止千万だぞド素人めっ」
ノリで行動する人は、これだから御しやすい。往生際の悪いわたしへと冥土の土産をこさえたつもりなんでしょうが、構わずさっさと捕まえにくればいいものを……。
わたしが放った小物――つまりはサイバーな独楽へと、葉留佳さんは自前のベーゴマを取り出して即座に投げた。洗練された投擲に関しては……なるほど。素人呼ばわりするだけあって、確かに熟練の技術です。
――それもスペックの前では塵に等しいのですが。
「往生せえええやああーーーー!!」
葉留佳さんが投げ落としたベーゴマは素晴らしい軌道でわたしの独楽と接触し――粉砕した。
「……笑止千万」
「って、えええええええ!? まじっすかああ!!」
勇ましさから一転、愕然と後退りする。粉微塵となった愛用玩具の成れの果ては、彼女の気勢を殺いでも余りうる衝撃だったのでしょう。
ですが、硬直する葉留佳さんもなんのその、わたしの独楽の勢いは依然として増すばかりです。
「よよよ……。改造を余す事無く施したハイパー兵器……これはなんか卑猥ですネ。ともかく! スーパーはるちん無敵ゴマ28号改ドリル・エディション~男の夢よ永遠にが見るも無残な姿にぃ~……って、みおちんみおちん」
「はい?」
「この、はるちん的危険物第一種指定なコマ……いつ止まるのかな。たはは……なんか床が抉れてきましたヨ?」
リノリウムへと突き刺さった独楽がギュルンギュルンと唸りを上げて高速回転し、床屑を容赦なく巻き上げる。
粉塵が周囲に吹き荒れ、視界が遂に不明瞭になってきました。
「そのようですね」
「こんなモノ持ち出してくるだなんて~。はるちん一本とられちった!」
「そうですか」
「い、いや……あの。いつ止まるか教えて頂けると大変うれしく思うのですが? 何やら小型台風の様相を醸し出しちゃってる訳でですねー……」
「そうなんですか」
「と、とめてほしいなぁ……って」
「……?」
「いやいやいやいや、可愛らしく小首を傾げられても!」
「クスっ。直枝さんの真似ですか?」
「ええ!? いやいやいや理樹くんじゃ……って、これが理樹くんか、じゃなくて!! てか黒っ! みおちん黒っ!!」
失敬ですね。そもそもわたし、その怪しい独楽の制御方法など鼻から知りませんよ?
最早危険物と化した独楽は、何故だが葉留佳さんへと小判鮫のように纏わりついています。むしろ周回していますね。
……とりあえず、付き合いきれません。
身動きが取れなくなった哀れな少女を一瞥し、今度こそ踵を返して歩き出す。
「え、放置!? いーやーだー!! そもそもこんな兵器反則だあーー!!」
「反則なら仕様がありません。今回限りにします」
「次回のことなんてどうでもいいよコンチクショーーー! この現状をなんとかしてみろバーロぉお!!」
「……さようなら葉留佳さん」
「待ってえええ!!! 置いてかないでええ!!」
缶蹴りとは、かくも殺伐としたものなんですね。
「ぎぃぃやあああーーー!? 粉屑が裾の中に入り込んで大変なことにぃぃぃ……っ!!」
可哀想な葉留佳さん。元はと言えば、あなたが呑気に事を構えているからいけないんですよ?
獲物を前に舌なめずり。それは三流のすることだと何処かの誰かがが言ってました。
騒がしい後方を尻目に、先程通ってきた道を悠々と闊歩する。道中でポケットから携帯電話を取り出し、登録された番号を呼び出した。
「有効範囲に難有りです。回収お願いします」
『お任せください西園さん!』
快くわたしに手を貸すマッド集団に後を任せ、今も逃げ回っているであろうメンバーへとメールを送る。
「……葉留佳さんが下から来たとなると……三階は白ですね」
メンバーに情報を送信後、携帯をポケットに仕舞いこむ。その際指に触れたセンサーの発信音は、既に沈黙していた。
-SIDE:Kengo-
「む……?」
懐に仕舞いこんでいた携帯電話が振動で揺れる。周囲を警戒するよう睥睨し、安全だと悟ると二つ折り携帯を開く。
――西園からのメールであった。内容は――
『三階東階段にて三枝葉留佳と遭遇。標的は下階の可能性大』
「ほう……。既に鬼と接触したのか」
しかも、あの騒がしい女か……。更にはメールを送れるという余裕は、上手く撒いたということに他ならない。
一見運動音痴かに思えるが――どうしてなかなか。西園も意外と侮れんな。有り難い情報提供には瞑目して感謝を述べる。
ルール上、時間内に逃げおおせれば勝ちとなる。絶えず逃げ纏えば負けることも無い。――だが、受身というのも面白くない。
これは缶蹴り。缶を蹴ってなんぼという訳だ。捕獲者の有無に関わらず、蹴り飛ばしてしかるべき。
「そうは思わないか……能美?」
「よくわかりませんけど、やる気は伝わってきました!!」
傍にいた能美は、拳を突き上げて気合充分な様子。前向きで良い事だ。
何故彼女と共に? と自分でも一瞬疑問に駆られるが、偶然逃げた進路が一緒だったからとしか言い様が無い。
まぁ、本音では扱いに困っているとも言える。本来ならば、彼女達のお守は理樹の役割だ。が、敵対関係に陥った今、理樹に任せる訳にも行かない。
……難儀なものだと、胸中で吐露する。つまりは、見捨てるのも忍びないということだ。突き放せない以上、連れ添うことしか出来ないのだが……。
「西園のメールでは三階に三枝が出没したとの情報だ」
「みたいです。葉留佳さん相手だと西園さんは強いですからねー」
「抑制出来て何よりだな」
何気なく言葉を交わしながら、視線で能美を促した。何時までもこの場に留まる理由もない。
彼女は異議を唱えることもなく、忠犬のような素直さで追従する。廊下の隅を進行しながら、自身の端的な考えを彼女に伝えることにした。
「では方針だ。ゲームのルール上、逃げ切れれば俺達の勝ち。だがつまらん。そうは思わんか?」
「つまりませんか?」
「ああつまらん。そもそも敵に背を向けるなど豪語同断。火中の栗を拾わずして何が缶蹴りか。蛮勇こそ男の美徳!」
「おぉ! ブシ・ドー、ですね!!」
「鼻からちょんまげ、ブシ・ドーだ!」
その意気だと言わんばかりに、大きく頷いてみせる。聞かせた自分でも、実際何を言っているのかは分からなかった。八割方ノリだ、構わんだろう。
テンションの上がった能美を引き連れながら、とにかく練り歩く。目的はあるが、行く当てはない。まあ、勢いで乗り切れば万事滞り無しだ。……たぶん。
周囲を警戒に目を光らせながら探索していたその時――
「ちぃ! 伏せろおお!!」
「はわっ!?」
高速で能美の両足首を足払い。彼女の小柄な体が一瞬宙へ浮く。次いで、その小さな身体に手を差し込み、地面へ這いつくばせるように優しく押さえ込んだ。
「な、なにごとですかーー!?」
「喋るなっ……! 敵だ」
慌てふためく小さな少女の頭部を押さえつけ、自分も縮こまる様に廊下の隅へと身を潜めさせる。
「て、敵ですか?」
「恭介だ。見てみろ」
小声で囁き合いながら、慎重に上体を起こして窓から様子を窺った。先程窓越しに映っていたのは、敵対すべき確かな鬼の姿。改めて確認すると……いる。やはり恭介だ。
だが、センサーが反応していないことから分かるように、距離に関しては充分な開きがあった。
そもそも、恭介がいる地点は向こう側の校舎だ。気付かれたとしても、別段慌てる必要もない。
「恭介さん……なにをしているのでしょうか?」
能美が首を傾げる。鬼である恭介は動こうとせず、何故だか廊下に突っ立っていた。
率先して捕まえようと勇む男が、留まらなくてはならない理由……。
「……もしや、缶はあの辺りなのか?」
「と言いますと、恭介さんは守備についているわけですねっ」
「だろうな。だとすれば直線状の廊下か、近くの教室といったところか」
現在地は二階。三枝が発見された東階段とは正反対に位置する校舎であり、恭介がいる場所は間違いなく三枝が確認された校舎でもある。
彼等鬼チームが一分という時間制限内で反対校舎へと移動できたかというと……まぁ可能だろうが、あちらの校舎に半分の鬼が結集している事を考えても移動したとは考え難い。
他の鬼の姿が見えないのが気に掛かるが、大方俺達の捕獲に借り出されたのだろう。現に三枝は三階で確認されている。
残りの二人が近くに潜伏している可能性もあるが――。
「関係ない。お前もそう思うだろう?」
「えぇー……。君子危うきに近寄らず、ですよ?」
「虎穴に入らずんば虎児を得ず、だ。さぁ! 俺に続けええーー!!」
「わふーー! 私もですかー!?」
なにを今更、当然だろう。
嫌がる能美の手を引きながら、窓から頭を出さぬよう低重心で進む。
缶があれば先手必勝、なくても問題ない。とにかく、疑わしい地点へとまずは接近してみないことには始まらないのだ。
しかし、近づきすぎてもセンサーが動作している以上は、恭介との衝突は避けられない。……まずは電波の正確な有効範囲を調べるか?
「あ、あのー」
「充分な距離がある以上は、恭介といえど追撃は困難」
「宮沢さん? 宮沢さーん?」
「仮に缶があれば……全員で畳み掛けるべきか」
「うぅ、無視をされてしまいました……」
なんだ騒々しい。未だに往生際の悪いことを言っているのかと思い、彼女を一度諭すために歩みを止める。
「どうした? 共に缶を蹴り倒すと結束したばかりじゃないか。今更後戻りは利かんぞ?」
「私賛成するとは一言も……。そ、それよりです」
能美が頬を高潮させながら、気まずそうに周囲へと視線を向ける。……なんだその反応は。
視線が右往左往している彼女に止む無しと従い、注意を広げて辺りを見渡した。
「……ぬ」
「な、なにやら注目の的ですね……」
何故だか好奇な視線が注がれているな……。
「俺の完璧な隠密行動に支障が……?」
「宮沢さんの格好や知名度が問題だと思いますよ?」
「馬鹿な!?」
格好だと? 毅然とした袴姿とクールなリトルバスターズジャンバーが見苦しいというのか!?
全神経を聴覚に集中させ、こちらを窺う連中の話し声を聞き取ることに専念する。
「ねぇ……あれ剣道部の宮沢さんよね?」
「宮沢様……ぽっ」
「最近着てるあの変な上着……なに?」
「さあ。色合いといい、何気にミスマッチじゃね?」
「横にいるのって確か……」
「宮沢と能美って付き合ってたっけ?」
「えーー。わたし狙ってたのにー!」
――もしかして……俺は笑われているのか? いや、それよりも不穏な会話が……。
ここに至り、能美と身を寄せ合いながら手を握り締めていることに気付く。……誤解の種だ、弁明せねば。
「あー、勘違いしてもらっては困るな。彼女には、なんだ。本命が――」
「み、みやざわさーーん!! 暴露は禁止ですーー!!」
「うぉ!?」
能美が飛びついてきた。いや、流石に観衆に晒された状況で口を滑らすほど俺とて無神経ではないぞ?
むしろ、更に密着感が増したことによって周りの目も痛くなってきたのだが……。
俺が喋ると思っているのか、引き離そうとしても剥きになってしがみ付いてくる始末。
――嗚呼、悪循環。
「そ、そもそもですね? 本命とは言いますがわたしとしましてはラブではなくライクであってリキとはいい関係なもので――」
「ま、まあ落ち着け能美。今この状況こそが誤解を招く原因だぞ? それに自爆している。ここは一度深呼吸をしてだな――」
「役得だな少年。お姉さんも混ぜろ」
「は?」
「え?」
唐突に乱入してくる透き通った声量。聞き覚えのある薄ら寒い呟き。
――待て。何故聞こえる。
「わふー!! いつの間にやらセンサーが鳴ってます!」
懐に忍ばせたセンサーへと耳を傾ける。ふ、普通に鳴っているじゃないか……。
周囲のざわめきと俺達の言い合いで音が掻き消されていたか!
「ちぃ! 逃げるぞ!!」
「は、はいです!!」
二人揃って脱兎の如く飛び出した。だが、煩わしい機会音は一向に鳴り止まず、それこそ音の間隔は次第に狭まっていく。……流石に早いな!
――本気で走れば撒けるだろう。しかし、能美の歩調に合わせるためには速度を落とす以外は如何ともし難い。
見捨てるという選択肢がありはしても、実行する気はもとよりない。――ならば!
「ここは俺が食い止める! お前は先に行け……っ!!」
「そ、そんなこと出来ません!」
「やるんだ! どちらにしろ追いつかれるのは時間の問題だ!」
並走しながら背後を振り返る。……ちっ、猶予はないな。
懸命に走りながら駄々をこねる能美へと、安心させるように不適に笑って見せた。
「なあに。軽くあしらって直ぐに合流だ。それとも何か? 俺が信用できないか?」
「そんなことないです!」
ぶんぶんと、勢いよく首を横に振る。
――それは良かった。ならば、後は任せておけ。
その場で急停止急転換、走る彼女に背を向けた。
「――宮沢さん!!」
「振り向かず行け。例え離れようとも、俺達リトルバスターズの絆が綻びることはない!!」
「……っ。ご、ご無事で!」
「任せろ」
能美は一瞬留まるか否か躊躇うも、直ぐに感情を振り切って疾走する。――それでいい。
彼女は決して馬鹿ではない。自身が足手まといになると理解していたからこそ、こちらの真意を汲み取ったのだ。まぁ、お互い若干演出過多だったことは否めないが。
廊下を叩く快音が徐々に遠下がるのを確認し、既に歩みを止めていた追走者へと、立ち塞がるように廊下の中央へと進み出た。
「と、言うわけだ。少しばかり付き合ってもらうぞ。――来ヶ谷」
笑みを浮かべながら腕を組む追撃者――来ヶ谷を決して通さぬよう、仁王立ちにて対峙する。
何処か掴み所のない飄々とした風の彼女は、今もそれが変わることなく自然体で佇んでいた。
――それは余裕か。来ヶ谷は肩を竦めながら、口許を吊り上げて見せる。
「臭くて涙ぐましい演出だが……世間ではそれを死亡フラグと言う」
「最近では逆に生存フラグに転化することもあると言う」
揃って鼻を鳴らす。
彼女は組んだ腕を解き、心持ち体勢を沈ませる。こちらも左足を地に打ちつけ、右足をスッと前に滑らせる。
お互いを警戒する臨戦態勢は、周囲に広がっていた喧騒を収束させ、空気を緊張で張り詰めさせた。
――圧倒的に不利なのは言わずもがな……。俺に課せられたことは来ヶ谷を足止めし、且つ指一本すらも触れてはならないという条件付だ。
傍から見なくても、それが能美を逃がす為の捨て駒的な役回りだと誰もが分かりそうなものだ。
損なことだとは思う。だが、俺の胸の内は貧乏くじを引いたことでささくれることは一切なく、逆に良い刺激となって意気軒昂と血気を逸らせた。
能美には悪いが、間違いなく今の状況とこれから起こる攻防に自分は楽しみ、心待ちにしている。武道家は須らく、力量の比べ合いに現を抜かしてしまう。特に、自分は顕著だろう。強者と遜色なく言える彼女と、遊びとはいえ、この場で白黒をつけるのも悪くないと思ってしまう程なのだから。
……ここまで心にゆとりが持てるようになったのも、皆のおかげだな。
二人が相対して数秒か、はたまた数分か。既に時間の経過すら感じることもなく、無表情に構える相手の出方を窺った。
あれ程騒がしかった空間は、今では息苦しいほどの静寂に包まれていた。しかし、ピリッとした緊張感には、言葉に出来ない熱気も確かに内包されている。
状況が掴めない筈の観衆が、俺達の一挙一動に注目していた。
良くも悪くも有名人。一体何を仕出かすか期待している……と、取らしてもらおう。
――ならば刮目して見ろ。男、宮沢謙吾の大立ち回りをな!
長い沈黙の直後――来ヶ谷の双眸が見開かれる!
(どう来る!?)
彼女の右肩が揺れ、同時に腕が伸びた。陶磁のような白い人差し指が俺の肩越しを指す。
「理樹クンの筋肉がこむらがえってるぞ!!」
「な、なにいいいいい!?」
指された方向に従って、後方を振り向くがしかし――。
「って誰が引っ掛るか馬鹿め――!!」
こんな見え透いた嘘程度で――底が知れたな! 生憎こむらがえるほど理樹に筋肉はない!!
そのまま一歩分飛び退り、案の定何もない後方から視線を再び前方へと戻す。
絶句した。
「なあぁ!?」
「恥ずかしい奴だなキミは」
サラバと付け加えながら――なんと来ヶ谷は窓辺を乗り越え、外へと飛び降りた。――俺を無視して。
慌てて駆け寄り、彼女が身を躍らせた窓の縁へと齧り付く。
元より、飛び降りたことによる安否など気にしちゃいない。驚きの理由は、まんまと一杯喰わされたことだ。
眼下に広がる中庭には、既にそれらしい人影はない。――早くも室内へと潜り込んだか!?
二階とはいえ、普通飛び降りるか? ……いや、行為自体は俺達メンバーの半数は造作もないことだが。
「――それにしたって強引だなおい……」
しかし解せん。俺の注意を逸らせて捕獲するつもりではなかったのか……。
何故敢えて俺をスルーして……いや、まて。
「そういうことか……!!」
彼女の狙いは始めから能美か!? 嗜好を考慮して然るべきであった。あの痴女めっ。
能美の逃走経路は十中八九下階。つまりは一階だ。何故だが知らんが、来ヶ谷にはそれが解っていたのだろう。
よって、一階に逃げた能美と鉢合わせるために俺と対峙することで時間を潰し、頃合いを見て一気にショートカット。横合いから突如現れた来ヶ谷が、必死扱いて逃げていた能美を難なくタッチ。そういう筋書きか!
俺に対する気持ちが良い位の無視具合に、今も茫然自失から抜け出せん。
「お、俺の熱意のやり場はどうすればいいんだ……」
それはこちらの台詞だという、周囲の痛い視線が突き刺さった。
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