-SIDE:Kyousuke-
――ぶっちゃけると、俺自体がフェイクなのさ。
崩れ落ちる情けない謙吾を双眼鏡で覗きながら、したり顔でほくそ笑む。
「この調子ならクドは詰みだな。謙吾は後回し、と」
始めに決めたことだ。まずは手頃な人物を捕らえ、次いで孤立させた手強い人物を全員で袋にするというナイスな作戦である。
謙吾や真人を先に捕まえた方がいいんじゃないかという異論も出たが、逞しい女性陣を結託させる方がある意味不安材料であったため、先に彼女達の各個撃破を優先したという訳だ。まぁ、旧リトバスメンバーは基本的に体力馬鹿だから、奴等は最後でも構わんというのが後押しに理由でもあったりする。
という次第で、現在俺は見晴らしのいい場所で伝達と陽動を兼任しているのだ。
先に言ったように、自分がこの場にいること自体がブラフ。最初から缶など周囲付近には設置してはいない。
遠目から俺という存在が何かを守っているように見えたとするならば、そこに缶があるはずだと断定することだろう。
そこに漬け込むために、予めメンバーを四方へ潜伏させてある。……三枝は初っ端から行方不明だが。
つまりは、逸る気持ちを抑えられない血気盛んな輩をまんまと釣り上げるのが――この俺の役目という訳だ。
当然、来ヶ谷にクドと謙吾の所在をリークしたのも俺だ。当の本人達は気付かれていないと思っていたようだが、あれだけ向かい側の校舎を騒がせていたんだ。気付かない方がどうかしている。
一階に逃げ込むクドの様子を、謙吾と対峙する来ヶ谷へとボディーランゲージで伝えたのも俺だ。
――そして、今まさに哀れな生贄を釣り上げ、無慈悲にも強襲させようと指示を与えるのもやはり俺だ。
「……ふふん。そんじゃ、頼んだぜ」
携帯電話から、送信完了の効果音が流れた。
-SIDE:Riki-
「――音楽室付近……小毬さんか」
携帯から送られてきた情報に一度目を通し、指定された場所へと小走りで向かう。
標的は小毬さん。どうやら恭介の思惑に引っ掛かり、近くの特別教室付近に忍んでいるようだ。
若干曖昧な情報だけど、電子音で知らせるセンサーがある以上、対象を素通りすることは流石にないよね。
彼女は今も無意味に立つ恭介を見張っているようだから、遠回りして背後から一気に襲撃が得策かな。
(でも、小毬さんのことだから他の皆にもメールを使って情報提供してそうだ……)
だとすれば、このまま彼女を泳がせた方が恭介の宣言通り、皆を一網打尽に出来て良いんじゃないだろうか?
デメリットを考えるとするならば、それはどさくさ紛れの混乱に乗じられて缶を蹴飛ばされることぐらいかなぁ……。
更には人数差にも偏りがあるから、その策を実践するためには僕達鬼メンバーも今以上にチームの連結が求められる。絶えず逃げ回っている彼女達の包囲網を短時間で布く余裕は、既に僕達がバラバラに散ってしまった今では現状的に難しい。……事前に言っておくべきだったかな。
一方で、缶の設置場所には誰もいない筈だ。――大胆にも、僕達鬼も含めてね。それが今は良くても、捕獲された者が出れば流石に缶の警護を配置しなければならない。
こっちが人数を割く前に、なるべく一回のアクションで複数人を捕られえておきたいところだけど――。
「それでも恭介のことだから、全てを踏まえた上で計画を練っていたりして……。」
今の作戦に穴はあれど、一人一人確実に潰していくことに関しては問題はないと思う。
制限時間上、どうしても短期決戦に臨まなければならないから、今の作戦が無難でもある。
まぁ、考えるよりは行動あるのみだね。
作戦云々は面白みを増す充分なスパイスだけど、純粋に缶蹴りを興じるのが何よりも楽しいことだ。
あまり深く考えすぎて、汗を流すこと自体を疎かにはしたくない。と、いうわけで頑張ろう。
心持ち急いで行動していたこともあってか、目的の場所までは目と鼻の先。
そろそろ機械の反応を気にし出した直後――。
『ひあっ!?』
「よし。近くにいるね」
なんともあからさま。対象を認めたセンサーが仕様通りに電子音を鳴らせたと同時、女性の裏返った声音が大きく響き渡る。
わざわざ声まで上げてもらい、おおよその位置をついでに特定するにも至った。――今がチャンスだね。
彼女がテンパっている隙に、一気に仕掛ける!
駆け出した僕と同調するように、音の間隔が一気に狭まった。
あたふたとした小毬さんが、遂に僕の視界へと現れる。
「あ、あわわわ……。なんでなんでえぇ……!!」
ようやく我に返った小毬さんは、慌てて逃亡を開始する。――遅すぎたね。
ただ予想に反したことと言えば、音楽室付近からは既に離れていたこと。結果、小毬さんの前方に控えていた恭介と挟撃できなかった。
数十秒という時間が、今は引くべきだという考えに改めさせたのかもしれない。恭介側の通路側に誘い込む前に、別の通路へと逃げ込まれてしまったということだ。
――だけれど、判断自体はやはり遅すぎた。
「わああああーーーん」
差は縮まる一方。ただでさえ体力的に優位に立てない小毬さんは、奇襲によってアドバンテージすらも失っているのだ。
よっぽどのことがない限りは、仕損じることはないと思う。
(――あと少し!)
数十メートルの距離が、最早数メートル。電子音もドラムロールの如く鳴り響いていた。
これで一人目と、既に捕まえた気でいたのも束の間。
「――小毬ちゃん!!」
「鈴ちゃん助けてええ~~!」
――そうは問屋が卸さないようだ。
(このタイミングで鈴? 小毬さん本当にメールで招集かけたんだね)
小毬さんの正面から颯爽と走ってくるのは、ポニーに結った長髪を大きく揺らす鈴であった。メールに応じて駆けつけたのが彼女ということだろうか。
だけど、それは懸念すべきことではなく、実質チャンスのようなものだ。意図せずして、ターゲットが勝手に突っ込んで来てくれているわけだし。
――確実に一人は捕まえる! そう意気込んで速度を上げた僕の前方で、小毬さんを挟んだ鈴が床を強く蹴って大きく飛び上がった。
「――伏せろ小毬ちゃん!!」
「うん!」
凄まじい跳躍力は頭を抱えてしゃがみこんだ小毬さんを軽く飛び越え、勢いのままに体が半回転して僕へと――って!
「うわ――っっ!?」
伏せた僕の頭上を鋭い風切り音が通過する。――蹴りだ。今蹴りが通過したよ?
「てか危ないよ!?」
「ん?」
「いやいやいや! 今更何言ってんだ的な顔はよしてよ!」
日頃から相手にしてるのは謙吾や真人であって、僕なんかだと首が吹っ飛ぶよ!!
軽業師のような身軽さで大地へと着地後、しっかりとバックステップで距離を取る鈴は自分の抗議も何処吹く風。……聞いてよ!
鈴は僕まで飛び越したため、鬼である僕を二人が挟むという構図が出来上がっていた。
「……理樹か」
――気付くの遅いね……。ともかく、彼女はようやく敵である僕を認めたようだ。
鋭く細めた瞳が僕へと突き刺さる。鈴の活路は僕の後方か。――どうやら強引にでも僕の真正面を突破し、小毬さんと一緒に逃げたいと考えているのだろう。各自散開すれば僕の狙いが確実に一方へ逸れることを分かっていながらも、鈴は合流を選んだ。――友達想いになったとつくづく思う。
歓迎すべき変化だけど、ごめんね。今は好都合なんだ。
僕へと注意を向けたのは一瞬で、鈴は一際深く腰を落とす。敏捷な猫科を思わせる体勢は、明らかに推進するための爆発力を蓄えていた。
――問答は不要、という訳だね。
(だけど――!)
僕は即座に踵を返し、少し離れた距離で鈴のことを呼び掛けていた小毬さんへと走り出す。
「こ、こっち来たあああ!」
「コラ理樹! どうしてそっちに行くんだ!!」
そもそも、どうして鈴に構わなくちゃいけないのさ。鬼である僕が挟まれようとも、正直関係ないし。いつ蹴られて吹っ飛ぶかも分からないしねっ。
小毬さんには悪いけど、比較的容易に捕まってくれるのは断然彼女なのだ。……安全だし。
鈴はそれからだ。小毬さんを捕まえた後にゆっくりと相手してあげるから、その間は大人しくしていて欲しい。
そういう訳で、転がるように逃げ始めた彼女の追走を再開する。
再び僕と小毬さんの逃亡劇が始まるかと思いきや――。
「ふぎゃ!?」
――本当に転がった。
「い、痛いぃ……」
「だ、大丈夫小毬さ……ん」
立場も忘れ、つい心配に駆け寄ろうとして――硬直した。
転んだ拍子なのか、うつ伏せに廊下へと倒れる小毬さんの姿が色々な意味で凄いことに……。
そ、その……ね? 倒れた際に捲れ上がったんだろうね。いや……スカートが、ね。
――こほん。端的に言いますと、丈の短いスカートが思いっきり捲れ上げってお尻丸出しですはい。今日の動物も拝んでしまいました。
「ぺんぎんさんかぁ…………はっ!?」
「…………」
ちりちりと、僕の背中辺りへと不穏な空気が立ち込める。振り返れば、無表情の幼馴染とご対面。
い、痛っ! 鈴の視線が痛いほどに突き刺さるよ……。――酷く冷めた両眼は、まるでゴミでも見るかのようだった。
「り、鈴……?」
「スケベ」
「…………い、いや――」
「むっつりドスケベ」
うわあああああああああ――!! ふ、不可抗力じゃないのこれ!?
だって目の前でこけられたら見るしかないじゃないか……。見たのじゃなくて、見えたんだよ?
あぁ、僕はこれより鈴から助平をみるような――
「隙あり!」
「――って、ウソおっ!?」
自己嫌悪に陥っていた僕の脇を、鈴が一瞬で通り過ぎる。――手を伸ばすも僅か届かず。
引っ張り起こした小毬さんを伴って逃げ出した。当然見過ごせない僕も遅れて追いかける。
前方を走る小柄な背中が少し憎らしい。
「ずるいよ鈴!」
「ずるくないぞ!」
「むしろセコイよ!」
「セコクなんてないぞ!」
「僕の初心を利用したじゃないか!」
「うっさい! 知るかボケーー!!」
とにかく追い縋る。
幾らなんでも、あんな一種の天然色仕掛けみたいな間の抜けた方法で下手を打つなんて思わなかった……。
ここで見す見す二人を見逃したとするならば、他の皆に何を言われることやら。――僕の不備より、鈴の軽い口が何を口走るのかが怖いな……。
「ちょっと鈴! 僕は見たくて見たわけじゃないんだよ!?」
「あうっ! 見苦しいもの見せてごめんね理樹くんーーー!!」
「あ、ち、ちがっ。決して小毬さんのが嫌だったとかじゃなくてねっ」
「ふかーーー! 理樹は恥ずかしいから付いてくるなあーーーー!!」
そんなの聞ける訳もない。僕だって恥ずかしいんだよ。
第三者から見れば、まるで痴情の縺れみたいじゃないかっ。しかも、センサーがうるさく鳴り響くことによって、周囲の目も何事かと僕等へと集中する。注目を浴びようが、それでもこちらは弁明に必死なの!
鈴は小毬さんの手を引きながら(むしろ引き摺ってる)、延々と言葉を投げかける僕を嫌そうに睨みつける。くんなーよるなーなどと人聞きの悪いことを振り向き様に叫び、そして逃げ纏う鈴ら二人。
――そんな前方不注意が、今回も不運を招いた。
注意を払っていない彼女達の正面から、角を曲がって近づいてくる人影が――!
「うわ!? 鈴まえまえ!!」
「そんなこと言ってもわぎゃ――!!」
「ひゃあっ!?」
「――きゃ!?」
余分な悲鳴が一つ。やっちゃった……。
先駆していた鈴と緩やかに歩いていた誰かが出会い頭にぶつかったとみて間違いない。
――と、そんなこと考えている場合じゃなかった。
「鈴大丈夫! 小毬さんも……」
「うぅ……痛い……」
鈴は尻餅を付いて赤くなった額を押さえていた。――よかった、大事はないようだ。巻き込まれた小毬さんは……うわ、目回しちゃってるよ。肩を揺さぶるも、直ぐには還って来そうにないね。……一先ず保留。
鈴の手を取って立ち上がらせ、改めて被害にあった人へと謝罪をするべく近寄った。悲鳴からして明らかに女性だったと思うけど――。
「っぅ~~。……なんなんですのっ!?」
――同じく涙目で額を押さえる少女。
「さ、笹瀬川さん……」
――笹瀬川佐々美。不味い人と遭遇してしまい、つい言葉をかけ損なった。
そうしている間に激昂した様子で立ち上がり、吊り上がった瞳で僕等を一瞥する。予想通り、彼女の視線は鈴を捕らえた。
気付いた鈴も睨み返す。
「――棗鈴!!」
「おまえは……あまのがわささのは!!」
「七夕になってますわよ!? さ・さ・せ・が・わ・さ・さ・み、ですわ!!」
幾度となく聞いたやり取り。その度に訂正する彼女は律儀だとは思う。まともに覚えない鈴が無頓着なのかもね……。
因縁の相手(少なくとも笹瀬川さんにとっては)が敵意の眼差しを向けてくれば、鈴とて嫌が応にも対峙しなくてはならない。
二人とも勝気な性格だ。引っ込みが付かなくなる前に、一方に妥協してもらうべきだ。
「ほら鈴。ぶつかったんだから、ちゃんと笹瀬川さんに謝って」
勿論相手は鈴。睨み合う二人へと割り込むように僕が口を挟むと、彼女は不満の表情を色濃く浮ばせた。
「あたしが先に謝るのか?」
「突っ込んだのは鈴の方だよ。それに順序は関係ないからね?」
「おまえ誰の味方なんだ……」
愚痴らしきものを零しながら、憮然とした笹瀬川さんへとぶすっとした顔で向き直る。
本来なら鈴との悪態合戦を繰り広げる筈の笹瀬川さんは、僕によって出鼻を挫かれたため不機嫌そうに口を噤んでいた。だけど、それも鈴が詰まらなそうに正面に立つと、
緊張に身を強張らせけど。
――一瞬の沈黙後、一言。
「……すまん」
「すまんじゃないでしょ? もっと誠意を込めないと……」
「誠意を込めて、すまん」
「ま、まじめにやろうよ鈴……」
「むぅ……。申し訳ないことをしたと思わないでもないけど、謝ってやる気持ちも吝かでもなかったりする」
もう滅茶苦茶だ……。
「おちょくってますの!?」
あぁ……、何故頭を下げるだけで神経逆撫でしなくちゃならないのかな。
最近の鈴はようやく素直になり、心持ち社交的になったけれど、笹瀬川さん相手だと何故か意地を張っちゃうんだよね……。
そして、大概沸点の低い笹瀬川さんは成り行きを静かに傍観できなくなったのか、顔を真っ赤にさせて鈴へと詰め寄った。
「あなたはいつもいつもわたくしのことを馬鹿にして――」
「おいささ子、今日は取り巻きの連中はどうしたんだ?」
「無視!? べ、別にあの子達と常に一緒にいるわけではありませんわ。それに! 私は佐々美……断じてささ子ではございませんことよ!!」
「ま、まあまあ笹瀬川さん」
「邪魔ですわ!!」
「お前が邪魔だ」
「何ですって!?」
「お、抑えて抑えて……」
――非常にまずい。これ以上下手に刺激させてしまうと、何時もの如くバトルに勃発し兼ねない。
やはり、騒動の元にはさっさと退場してもらおう!
「ほら! 鈴はもう良いから一階の104教室に行ってなよ!」
「こら押すな! それにどうしてあたしがそんな所に行かなくちゃならないんだ……?」
「なんでって――」
鈴の背中に触れた僕の手を、露骨にぽむぽむと叩いて動かす。
さっと鈴の顔色が変わった。
「タッチだけど?」
「ち、違う!」
「タッチだよ、タッチ。そもそも、鈴はさっき僕の手を取ったじゃないか」
中断なんてない訳だし、笹瀬川さんには本当に申し訳ないけど、先の出来事は思いがけない幸運でもあったね。鈴は触れたことを意識していなかったみたいだけど。
鈴は僕の腕をばっと振り払い、焦燥に駆られた様子で挙手をする。
「納得いかない、やり直しを要求する!!」
「ダメだよ」
「じゃあタイムだ! あたしはタイムしてたぞ!」
「してないよ」
「ならバリアだ! バリア中にあたしに触れたとしても無効化されるんだ」
「後付は認められないよ鈴……」
「なにぃ……」
小学生が付くいちゃもんみたいだね……。
まあ、自分でも正直卑怯かな、と思ったけど――これも意趣返しだよ鈴。
悔しさにわなわなと震えていた鈴は、キッと面を上げて何故だか笹瀬川さんを睨みつける。
「せさみの所為だ!!」
「はぁ!? 急になんですの! それにせさみじゃなくて佐々美!! 何度言えば分かるのかしら……っ」
またやってる……。とにかく、鈴が本格的に逆恨みを始める前に、有耶無耶にしなくては。
「人の所為にしちゃ駄目でしょ鈴。それに捕まったんだから、ルールに従って今言った場所で待機。いいね?」
「くそ……。なんてコスイ奴だっ」
「はいはい。ちゃんと中で待ってるんだよ」
「うぅ……」
最早反論する気も起きないほど落ち込んでる。何せ最初に捕まったばかりか、あんな間の抜けた方法で僕が触れたものだから、やりきれないんだろうなぁ。
小毬さんの存在すらも忘れて、肩を落としながらトボトボと歩いていった鈴を見送り、次なる問題へと目を向ける。手持ち無沙汰で佇む笹瀬川さんへと、鈴の代わりに頭を下げた。
「笹瀬川さん、本当にゴメン。怪我はない?」
「し、心配は無用ですわ。そもそも! 廊下は公衆の場、走り回るところではないんじゃなくて?」
ごもっとも。僕達リトルバスターズはこんなことを常日頃繰り返すものだから、風紀委員や教師には睨まれることもしばしば。
――少し自重すべきだね。
「それに 近頃のあなた方は目に余りますわ。もう少し節度ある行動をなさったらどうですの!?」
と、当の被害者にも言われたことだしね。
まあ、皆も休み明けまで入院していたこともあって、今まで抑えられていた欲求みたいなものが爆発しちゃったような感もあるし……。長くは続かないと思うけど……恭介だしなぁ……。
依然と笹瀬川さんは文句と苦情をつらつらと投げ掛けるけど、僕には鈴程彼女の対応をぞんざいに出来ないから正直対応を躊躇ってしまう。
それに実の所、笹瀬川さんとは親しいどころか、会話自体も交わしたことさえ覚えていない。そもそも、僕自身のことも覚えているかどうかすらも怪しい。多分、鈴や謙吾の取り巻きAぐらいの認識じゃなかろうか。
「ちょっとあなた聞いてますの!?」
「も、勿論だよ。本当にゴメン」
「それはもういいですわ!」
うぅ…。何故僕がこんな目に。確かに追い回していたのは僕だけど、鈴の代わりに目の敵にされるのもいまいち釈然としない。鈴がいなくなって少しは事態が好転するかと思ったけど、八つ当たりの対象が僕へと移っただけだった。――それでも、二人が険悪な雰囲気になるよりかは断然ましだけどね。
無抵抗のサンドバック口撃にようやく一息入れた笹瀬川さんは、少しばかり冷静さを取り戻していた。それでも高飛車に鼻を鳴らしながら、腕を組みつつ厳しい眼光で僕を射抜く。
「それにあなた達……学校の往来で何をなさっていましたの?」
「え? ……えっと」
弱ったなぁ、正直に答えていいものか……。
困り顔で閉口していていると、沈黙を嫌がった彼女の顔が見る見る不機嫌になっていったので慌てて答える。
「か、缶蹴りだけど……」
「……はぁ? 缶蹴り……」
「うん、缶蹴り。……もしかして知らない?」
「し、知ってますわそれぐらい!!」
自分のことをなんだと思ってますの的な顔で一睨みされ、呆れたように息を吐く。
「よりにもよって缶蹴りだなんて……宮沢様もどうしてこのような乱痴気騒ぎなんかに……」
理解できないといった風に肩を竦めた。笹瀬川さんにとっては缶蹴りも子供の遊び同然であり、いい歳してはしゃぎ回る僕達の気持ちが解らないのだろう。
最も、彼女が好いている謙吾がその騒動に加わっていることが、恐らく一番気に喰わないんだと思う。この場合、不満なのは参加している謙吾ではなく、引き入れた僕等とも取れるけれど。
「わたくしが昼食に誘っても応じてくださりませんのに……」
……なにやら笹瀬川さんが目に見えて落ち込んできたんだけど。僕等には付き合っても、自分とは付き合ってくれないというのを自覚して悲しくなってきたのだろうか。
確かに、謙吾は笹瀬川さんの熱い視線にも気付かない振りをして、のらりくらりと躱している節がある。事実、興味はないのだろう。
――憂いた彼女を見ていると、酷く居心地が悪くなってきたな。さっさと離れたいけど、雰囲気が許してくれないし、なにより無責任な気もする。……どうしよう。
「……はぁ」
「…………」
「…………」
「…………あ」
ここで、一つ名案が浮ぶ。
「ねぇ、笹瀬川さん。これから時間ある?」
「……なんですの?」
「いや、あればでいいんだけど……笹瀬川さんも僕等と一緒に缶蹴りしない?」
「は?」
笹瀬川さんは一瞬毒気を抜かれたように目を丸くしていたけど、僕が発した言葉の意味に気付いて困惑に目を泳がせた。――ん? 意外と悪くない反応だ……。
「な、なな、なんでわたくしがそのような低俗な遊戯に付き合わなくてはなりませんのっ」
「皆でやると楽しいと思うよ?」
「そういう問題じゃありませんわ!」
鈴との会話を見ていて分かったことは笹瀬川さんもまた、鈴と同じく素直じゃないということだ。
一押しさえあれば、きっと済し崩し的に理解を得られるかもしれない。
悩ませる暇を与えないように、畳み掛けて言葉を重ねる。
「このまま鈴に理不尽な因縁をつけられるのも嫌だよね?」
「そ、それはまぁ……」
「ならここは一つ。同じ土俵に乗って鈴を見返してやろうよ」
考え込むように沈黙する。
彼女は決して鈴のことを嫌っているわけではない。僕の目から見ても、剥きになっている時の笹瀬川さんは活き活きしているように思えるのだ。
普段は何処か壁を作り、慕う下級生以外は近寄りがたい雰囲気だ。その下級生にも、心の内を明かしているのかどうかさせ分からない。
ある意味お高く止まっている笹瀬川さんへと、それこそ邪気無く接することが出来る鈴。良い意味でも悪い意味でも、鈴は唯一対等に話せる相手と言えるのではないか。
常に怒ってはいるけど、等身大の自分を余す事無く表現できていると思う。やはり、素直ではないけど。
そして、もし僕が同じ立場だったとしたら、その存在は尊ぶべき程に貴重で、信頼を寄せても裏切られないという保障が持てる。――まあ、推測の域は出ないけどね。
笹瀬川さんにとっても、鈴は嫌悪の対象には当て嵌まらない筈だ。これを機に、本当の意味で仲良くなってもらえれば幸いかな。
「どうかな?」
「わ、わたくしは……」
「謙吾もいるけど」
「う……」
さらに決め手。
鈴への対抗心を唆し、想い人の存在も知らせた。謙吾を引き合いに出したのは気が引けたけど、鈴を見返すには悪くない条件のはず。
それに決して笹瀬川さんの責任じゃないけど、鈴が捕まったことにも一役買っているのだ。要因はどうあれ、鈴に邪魔されたと文句を言われた以上、彼女が黙っていられるかと問われれば……。
深く悩みこんだ笹瀬川さんは、意を決したように僕へと言葉を投げかける。
「――わ、わかりましたわ」
「ほんとに? いいの?」
「か、勘違いしないでくださる? べべ、別に宮沢様がいるとか棗さんが少し可哀相になったとか……そんなことはこれっぽちもございませんことよ!!」
……つくづく思う。強情だけど、意地らしくて本当に良い子だ。
「よかったね、さーちゃん」
「な、何がですの。……それより、なんで小毬さんがいるんですの?」
「最初からいたよ~」
――いつの間に復活したんだ……。
先程まで目を回していた時とは打って変わって、ニコニコと嬉しそうに笹瀬川さんへと笑いかけていた。一方で、笑顔を向けられた彼女も満更ではなさそうだ。
……二人の中睦まじい様子から察するに、実は前から懇意にしていた真柄なのだろうか?
小毬さん、意外と顔が広いからなぁ。
「それより小毬さんも、大丈夫だった?」
「うん、大丈夫。すこぶる元気だよ」
グッと両の拳を握って問題ないことをアピールし、笹瀬川さんの手首を引いて歩き出す。
――うん、ちょっと待とうよ。
「何処行くのかな?」
「さーちゃんは私達のチームってことでいいよね?」
「別にいいけど」
「なら、飛び入り参加のさーちゃんのことを考慮して、鬼である理樹くんは一分間この場で待機ね?」
物分りの悪い子供を、まるで教え聞かすかの様に指を立てて提案する。
それは構わないよ。
「いいよ。――ただし、笹瀬川さんだけね?」
「あうっ」
――なに無かったことにしようとしてるのさ。
「あら? 小毬さんは捕まってしまわれたのですか?」
「助けてさーちゃぁん……」
「よろしくてよ。わたくしが加わったからには、小毬さんの一人や二人……ついでに棗さんも直ぐに開放して差し上げますわ」
胸を張った笹瀬川さんがなんとも頼もしい。ソフトボール部エースの実力、お手並み拝見だね。
携帯電話を操作し、一つの電話番号を呼び出した。
「あ、恭介。悪いんだけど、参加者一人追加ね」
――さて、これから面白くなりそうだ。
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